A.Lecomte

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2018年、ルコントは50周年を迎えます。
1968年に日本ではじめてのフランス菓子専門店として誕生したルコント。
“懐かしくて、あたらしい”お菓子づくりを、
次の50年も。

50周年のイベント・オリジナルグッズのご紹介

フルーツタルトフェアの写真
フルーツタルトフェア
復刻菓子『ポム ド テール』の写真
復刻菓子『ポム ド テール』
50周年記念缶の写真
50周年記念缶
50周年記念オリジナルタグの写真
50周年記念オリジナルタグ

アンドレ ルコントのあゆみ

Carte du monde Le A. Lecomte.
ロワールのイラスト
ポンポネットのイラスト
プチフールのイラスト
ジャマイカのイラスト
ナポレオンミルフィーユのイラスト
日本のイラスト
東京のイラスト
フルーツケーキのイラスト
スウリーのイラスト
スワンのイラスト
ベイクドチーズケーキのイラスト
パリジェンヌのイラスト
ロワールのイラスト

ロワール

1931年、アンドレ・ルコントさんが生まれたロワール地方はパリの南に広がる広大な穀倉地帯で、かつての貴族の別荘やお城があり、おいしいワインや乳製品、いろいろな果物や農産物が豊かな土地で「パリの食糧庫」と云われるところでした。
のちに、たいへんなシェフになるルコントさんがこの「食糧庫」の中で生まれ育ったということは何となく納得がいく話です。ともあれ、故郷のロワールの風土は彼の一生の仕事に深く影響を与えたようです。

ルコントさんは名実ともに、珠のような男の子だったそうです。でもお母さんたちは女の子が欲しかったようで、ものごころが付くまで女の子のように育てられたそうです。当時の写真には、女の子のような髪をしたまん丸な可愛いルコントさんがたくさん写っています。

ルコントさんの家の庭には、小さな畑と大きな杏の木がありました。彼の代表的なお菓子の中に、杏やいちご、その他果物をたくさん使ったタルトが多いのも必然かもしれません。
ルコントさんの味覚の原点は、この豊かなロワール川流域の恵まれた産物とのどかな自然の中で健やかに培われていったのです。

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ポンポネットのイラスト

ポンポネット

マイスター マルセル・ルナンのもとでの4年間修行した成果が実り、ルコントさんはケーキ、チョコレート、アイスクリーム作りの国家試験にパスして「スーシェフ」になりました。これを機にパリに出て、シャンゼリゼのお店で生活をはじめるのです。時に1949年18歳の若者でした。

そして20歳になるとフランスでは、兵役があり2年間の軍隊生活をおくることになります。もう第2次世界大戦は終わって数年たち、平和な時代になっていましたから軍隊といってもルコントさんにとって、それなりに楽しかったようです。特にその菓子職人の腕を買われ、みんなにおいしいケーキを提供して大変喜ばれたそうです。特に口の奢った将軍にはポンポネットのような凝ったケーキを。そして順に手を抜いていくのですが、最後の兵卒になるとすごい量になるので、パンプディングのようなパンを再加工したお菓子になりました。それでもみんなたいへん喜んでくれました。ルコントさんはここでお菓子を作る喜びを改めて実感しました。それにおかげさまで随分といろいろ優遇されたそうです。
後日ルコントさんは言っています。

「ぼくは軍隊に入って肥って帰って来た唯一の兵隊だろう」と。
どこにいてもルコントさんのケーキはまわりの人たちを明るく楽しくしてしまうようです。

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プチフールのイラスト

プチフール

1953年、兵役を終えてパリにもどったルコントさんは、幸運にも老舗ホテル ジョルジュ サンクに就職することができました。ホテル ジョルジュ サンクはご存知の通り、いまは”Four Seasons Hotel GEORGE V”となり、世界屈指の最高級ホテルですが、当時もパリの四ッ星ホテルとして名士が集まる名門中の名門でした。

その厨房でルコントさんは、ケーキ職人として一流料理人として名実ともに磨かれていくのです。ホテル ジョルジュ サンクという一流のステージと一流のお客さまが彼をその後「レジオン・ドヌール シュバリエ」にまで育て上げていくのですが、この時当の本人は22歳。花のパリで順風満帆、我が世の春を謳歌していた夢多き一青年でした。

当時の写真には、髪をオールバック、しゃれたネクタイのハンサム男が写っています。かすかに微笑んだその青年は幸せそのものでした。

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ジャマイカのイラスト

ジャマイカ

1955年、ルコントさんはホテル ジョルジュ サンクから派遣され、西インド諸島のジャマイカに行くことになりました。ジャマイカでは、ホテル ラウンドヒルのビュッフェやレセプションを任されるシェフとして腕をふるいました。

ジャマイカの思い出は、ホテルでの料理やデザートだけではありません。暑い南洋の島のあの情熱の音楽・カリプソが原色の服がよく似合う小麦色の肌の女性とともに街にあふれかえります。トランペット、ドラムやボンゴそれにさまざまの唄声が入り乱れて浜辺の街の喧騒に拍車をかけます。

そんなある日、お客様のひとりでパリマッチ(フランスのニュース誌)のオーナーのムッシュ カルティエが「パリに店を出さないか」と夢のような話をくださいました。「きみはここで作っている、私が大好きなパルミエを作ってくれればいいんだ」ということでした。
ルコントさんはいろいろ考えて、まだ若すぎると結論し、お断りしました。ムッシュ カルティエは確かにパルミエもお好きでしたが、ジャマイカラムが口いっぱいに広がるババが大好物だったそうです。

ルコントさんはオンシーズンはジャマイカ、オフはパリでという生活でしたが南国ジャマイカは彼にとって仕事、音楽、デザート、旅行…、そして…etc。言葉にするには余りある素晴らしい青春の思い出の地でした。

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ナポレオンミルフィーユのイラスト

ナポレオンミルフィーユ

ルコントさんが、ジャマイカからパリに戻り、ホテル ジョルジュ サンクで働いていた頃のことです。ある日イランの王室へ行かないかという話が持ち掛けられました。(当時はまだパーレビ国王在位の頃です)。ルコントさんはその話を受けて砂漠の国イランへ出発することにしました。結局テヘランとアバダンで2年半の間、見知らぬ国、新しい言葉の中で過ごすことになりました。ルコントさんはパーレビ国王の所有するホテルでたくさんのお菓子を作りました。

このホテルには、王様とご家族もお越しになることが多く、いろいろご賞味頂きました。王様は特にルコントさんの特別なクリームで作る表面をピンクとチョコレート色にグラッセした「ナポレオンミルフィーユ」をよくお召し上がりになりました。

確かにこの菓子は“ケーキの王様”と呼ばれていましたがその名にふさわしいおいしさと気品があります。
ルコントさんはイランにいる間、いたる所へ旅行しました。砂漠、遺跡、砂嵐それに森や水をうつす蜃気楼など、いろいろ見ることができました。砂漠の生活にも慣れ、多くのイランの方々にフランス菓子を喜んでいただき実に充実したすばらしい時代でした。

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日本のイラスト

日本

パーレビ国王のお招きで訪れたイランの夢のような2年半を終え、パリのホテル ジョルジュ サンクに戻りました。毎日シェフ・パティシエとしてお菓子づくりに腕をふるっていた頃、東京でオリンピックが開かれることになりました。ルコントさんに、今度は東京に行ってくれないかとの話があり、少しオリンピックを見てみたいという気持ちもあり、東京行きを気楽に引き受けました。

東京オリンピック開催で、世界中からお見えになるVIPを迎えるためにオープンする「ホテルオークラ」のフランス菓子、料理の技術指導者としてルコントさんは招聘されました。ここでまたルコントさんのお菓子は、世界中からオリンピックに見えた名だたるお客様に知られることになるのです。そして、日本に初めて本格的なフランス菓子が伝えられたのもこの時です。

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東京のイラスト

東京

オリンピックから4年後の1968年12月17日、ルコントさんが結婚した年の暮れに、マダムと二人で東京・六本木にフランス菓子専門店「A.Lecomte」を開店しました。当時の六本木はアマンド、ニコラス(ピザの店)や明治屋が出来た頃で、おしゃれな新しい街に変わりつつありました。

開店当日、ルコントさんのケーキは出来たのですが、それを入れる箱や袋、包装紙の用意が出来ていませんでした。急遽、「A.Lecomte」のスタンプを作り、間に合わせました。

日が経つにつれ、お店も順調に整っていきました。ルコントさんの日本で初めてのフランス流の焼菓子も評判になり、多くのお客様にご利用いただく機会に恵まれました。それまで日本にあった洋菓子よりも、リキュールの効いた大人のお菓子として、男性にも好まれるようになりました。その当時は、日本ではなかなか手に入らない材料も多く、大変苦労したそうです。中には、ルコントさん夫妻がフランスに直接発注をして揃えていたものもあるそうです。ルコントさんのケーキはこうして少しずつ、日本の洋菓子として親しまれるようになりました。

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フルーツケーキのイラスト

フルーツケーキ

色とりどりのドライフルーツをたっぷり使い、芳醇なラム酒が香る、まるで宝石箱のような「フルーツケーキ」はルコントのスペシャリテ。

フルーツケーキのルーツは中世のイギリス。当時は特別な宴のために作られることが多かったと云われ、今でも欧州ではクリスマスやウェディングの日に焼く習慣があるそうです。ルコントの「フルーツケーキ」は、イギリスのバッキンガム宮殿でパティシエを務めていたルコントさんの兄弟子より伝授した特別なレシピで作ったもの。六本木の第1号店の開店3ヶ月前に習得した、創業時よりルコントさん自身も思い入れもある、お気に入りのお菓子でした。

チェリーやプラム、クランベリーなどのドライフルーツをラム酒にじっくり月日をかけて漬け込み、バターをたっぷり使用したパウンドケーキに仕上げます。どこか懐かしくて、出会うたびに新しい発見がある、そんな「フルーツケーキ」は今もルコントの店頭を華やかにしてくれています。

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スウリーのイラスト

スウリー

子ねずみの形をした「スウリー(ねずみ)」は、ルコントさんが創作したケーキの中でも最もかわいいケーキのひとつです。はじめは、ビスケットとバニラのバタークリームで作ったのですが、少しパサパサしているように感じたので、ねずみの形をパタシューで作ってみました。それにバニラのクレームパティシエールと白と茶のフォンダングラッセで目や鼻やシッポを描いてこの「スウリー」が誕生したのです。

このお菓子は、かわいい子供たちに食べてもらいたいという一心で作り、出来上がったものです。スウリーたちがお店のショウケースに並ぶといままでのお店の雰囲気が一変しました。菓子職人にとって、他にはない自分だけのショウケースを作り上げることは、大変うれしいことなのです。

お菓子については、いつも他とは異なったオリジナル性を目指していました。「たまに他のお店に私の考えたお菓子が並んでいることがあると、真似されると云うことは日本において『A.Lecomte』がフランス菓子の学校の役目もはたしているようで、とても嬉しく思います。」とルコントさんは話していました。

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スワンのイラスト

スワン

ルコントさんのお店のウィンドウをのぞくと、ねずみの「スウリー」と並んでひときわ目をひくケーキがあります。白い衣装を羽からのぞかせた可愛いバレリーナのような白鳥の一群、「スワン」です。

シャンティイクリームのシューだけではさみしいので、それを白鳥の形にしようと曲がったシューを作って付けたのがこの「スワン」の始まりです。そのうち子供たちの人気者になり、ルコントさんの「スワン」は日本に広がっていきました。子供たちが「スワン」を手にした時、お菓子が「おいしい」という嬉しさともう一つ、楽しい音楽を聞くような夢の気持ちになることでしょう。

ルコントさんも、この「スワン」を見る度に一緒に踊っているような嬉しい気持ちになります。

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ベイクドチーズケーキのイラスト

ベイクドチーズケーキ

六本木のお店をはじめて間もないころの、ルコント夫妻はよく二人でマダム アン・ディンケンのユダヤ料理のお店“コーシャーレストラン”に食事に行きました。ここのマダムが作るチーズケーキは、ルコントさんにとって日本一美味しいチーズケーキでした。ある日、マダム アン・ディンケンが『私はもう歳なのでレストランを売ってニューヨークに帰りたいの』と言いました。そこでルコントさん達は買い主を探してあげたり、いろいろお世話をしてあげました。

レストランも片付き、いよいよマダムが日本を去ることになりました。マダムはいろいろお世話になったお礼にとあのチーズケーキの作り方を教えてくれました。こうしてこの「日本一美味しいチーズケーキ」の秘伝はルコントさんが受け継ぐことになりました。

その作り方は実に凝っていて、混ぜ方、焼き方、食べ方まですべてにおいてたくさんの秘密と工夫が隠されていました。それにさらにルコントさんが改良を加え、今の「ベイクドチーズケーキ」が出来上がりました。マダム アン・ディンケンのその方法は手がかかり決して経済的とは言えませんが最高の美味しさを追求した実に価値あるケーキの作り方だと思います。

ルコントさんはチーズケーキを食べるたびに、マダム アン・ディンケンのど派手なしましまの靴下と明るい笑顔とジョークをいつも思い出します。ふっくらと柔らかなマダム アン・ディンケンの「日本一のチーズケーキ」は進化しつつ今も「ルコント」の主役を担っています。

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パリジェンヌのイラスト

パリジェンヌ

ルコントのお店では、シュー ア ラ クレームのことを「パリジェンヌ」と呼んでいます。このお菓子は、1968年に六本木のお店を開いた当時から人気のあるお菓子で、たくさんのファンがいらっしゃいます。もともとこのお菓子は、「シュープラリネ」という名前でしたが、ショウケースのお菓子の札がカタカナで読みにくかったのか、いつのまにか「パリジェンヌ」と名付けられ、そう呼ばれるようになりました。

このパリジェンヌの美味しさの秘訣は、アーモンドを粉状に刻んでカラメル状にし、少し固めの皮を作るところにあります。中には、軽く柔らかいクリームを魂を吹き込むように入れてゆきます。時代が変わっても、おしゃれなこの「パリジェンヌ」はいつもお客様に愛されています。

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